車いすラグビーの歴史

車いすラグビーの歴史

車いすラグビーの成り立ち

車いすラグビーは、車いすバスケットボールに代わる競技を探していた四肢麻痺者等(頸髄損傷や四肢の切断、脳性麻痺等で四肢に障がいのある者)の選手たちによって、1977年にカナダで考案されました。
ラグビー、バスケットボール、バレーボール、アイスホッケー等の要素が組合せられたオリジナルの競技であり、バスケットボールと同じ広さの室内のコート、バレーボールの5号球を基に開発された公式専用球を使用します。車いす同士のコンタクト(タックル)が認められているため、競技用の車いすはハードなプレイに耐え得る専用の車いすを使用します。

パラリンピック正式競技になるまで

1979年 ミネソタ州のサウスウエスト州立大学にて初めてカナダ国外で披露
第1回カナダ国内選手権開催
1981年 アメリカにてチーム結成
1982年 初の国際大会開催(アメリカ・カナダ)
1989年 カナダ・トロント開催の国際大会にイギリス参加(北米以外初)
1990年 世界車いす競技大会エキシビション種目
1993年 国際ストーク・マンデビル車いすスポーツ連盟スポーツ部門として国際車いすラグビー(IWRF)設立
国際ストーク・マンデビル競技大会に7カ国参加
1994年 国際パラリンピック委員会(IPC)にパラリンピック競技として認定
1995年 スイス・ノットウィルにて第1回車いすラグビー世界選手権開催(8チーム)
1996年 アトランタパラリンピック デモンストレーション競技として採用
1998年 カナダ・トロントにて第2回IWRF車いすラグビー世界選手権開催(12カ国)
2000年 シドニーパラリンピック 正式競技として採用

欧米では広く普及している国際的なスポーツであり、アメリカやヨーロッパの一部の国では、四肢に障がいのある者が行う競技であることから”クアドラグビー(QUAD RUGBY)”とも呼ばれており、また、当初はその競技の激しさから”マーダーボール(MURDERBALL(殺人球技))”と呼ばれていた歴史を持っています。

2021年にIWRFは「World Wheelchair Rugby(ワールド車いすラグビー、以下WWR)」に名称変更し、現在、車いすラグビーの正式加盟国や、国内でプログラムを開発している国は40カ国以上にのぼります。
WWRは成長と発展を目指す戦略的目標と共に、パラリンピック競技とは別に発展してきた競技との関わりを深めることで、「パラスポーツの世界的リーダー」を目指しており、パラリンピックで開催される競技だけでなく、複数のルールの異なる車いすラグビーの開発と発展にも取り組んでいます。

ローポイントの車いすラグビー

パラリンピック種目の原則とルールに基づいています。クラス分けが1.5点以下の選手を育成するための試合方式で、常にコート上のクラスの合計は3.5点を超えてはなりません。

ローポイントの車いすラグビーは、パラリンピック種目と同じくらい長い歴史を持っています。この競技は、0.5点、1.0点、1.5点の選手(ローポインターと呼ぶ)のために開発されたもので、通常は守備的な役割を担う選手が、ボールを扱い、攻撃的な役割を担い、他のローポインターのチームと対戦してトライを取ることができるようになっています。ここで学んだ技術は、ローポインターの能力を飛躍的に向上させ、パラリンピック種目におけるローポインターの役割を確実に高めています。

ローポイントの車いすラグビー

2022年7月にアラバマ州バーミンガムで開催されるワールドゲームズというマルチスポーツイベントで、ローポイントゲームを世界の舞台で披露します。障がいのある選手が参加する競技がワールドゲームズに登場することは初めてです。

国際大会は、ローポイント選手たちの情熱によって、長年にわたって開催されてきました。WWRの目標は、本競技を成長させ、国際大会のためのより正式な構造を開発することであり、国内での競技成長に伴い、草の根からハイパフォーマンスへの自然な道筋ができるようにすることです。

この他、5人制の車いすラグビーの取り組みなども開始されています(国内では未実施)。

日本の車いすラグビーの歴史

アトランタパラリンピック後の1996年11月に正式に国内に競技が紹介され、1997年4月に日本ウィルチェアーラグビー連盟(当時)が設立されました。
日本代表チームは2004年のアテネパラリンピックに初出場し、以降全てのパラリンピック大会に出場、リオパラリンピックと東京パラリンピックでは銅メダルを獲得しています。
現在、競技の国内普及とパラリンピックや世界選手権等の国際大会での金メダル獲得を目標に活動を行っています。

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